子宮頸ガンになってしまったFTMTSでございます。


by jack-dancer
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2005年 04月 02日 ( 6 )

2005/04/02 深夜救急外来

T医大

基本料 1476円

先生方、ならびに看護師様。
まことにお忙しい中ご迷惑をおかけいたしました。

タクシー代(深夜料金)
往路 2330円
復路 2580円
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by jack-dancer | 2005-04-02 23:45 | 金勘定

2005/04/02 MRI

導眠剤のおかげか、6時間ぐっすり。
15:05、T医大のすぐそばにある医療施設でMRI検査。
保険証を忘れ、妻がタクシーで往復して取りにいってくれる。

検査自体は特に不快感等はなかった。検査直後、医療施設の看護師さんとは

 「手術の日程とか決まってらっしゃるの?」
 「いえいえ。ってゆ~か、ガンっぽくみえないでしょ?ぜんぜんw」

とかいう軽口を叩き合う元気があったんだが、造影剤の影響か、やや吐き気がする。
検査終了後ちょっと散歩して立ち寄ったファミレスでのスープとパンの昼食がほぼ40時間ぶりの食事だったが、はっきりいってマズい。

東急ハンズで新しい腰痛ベルトを選ぼうとするも、疲れてしまい帰宅。
妻、疲れているのか家に着いたとたん約30分ほど熟睡。
おれもマンガを読みながら少しうとうとする。

だいたいにおいて昨夜もメシこそ食わなかったが酒だけはキッチリ飲めてんだから、いくらガンだからってそんないきなり具合悪くなるわけねえぞ。
甘えてたら体力も気力も落ちていくだけだ。

 「医者でガンを宣告されたんだバカヤロコノヤロおめえ」
 「コーノヤロおめえ
  『手術で取りきれると思うよ』ってなんで不確定な言い方すんだコノヤロおめえ」
 「医者でガンを宣告されたんだバカヤロコノヤロおめえ」
 「コーノヤロおめえ
  『おれは絶対死なない』とか武田鉄矢っぽく盛り上げてんじゃねえぞコノヤロおめえ」

                       (TM いつもここから)

うん。調子が戻ってきたぞ。
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by jack-dancer | 2005-04-02 19:20 | 確定診断まで

2005/04/02 MRI検診

新宿のMにて。

請求額 14620円
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by jack-dancer | 2005-04-02 16:39 | 金勘定
妻はおれと同じ職場でおれのサブをやっている。
おれは仕事の話をするときのような、事務的な口調で、病名を告げた。

妻も普段会社で申し送りを受けるときのような顔つきで何度もうなずいた。

泣きたいのか、怒鳴りたいのか。
すべての感情を飲み込むような、そんな表情だった。

普段どおり残業をして、普通に話したり笑ったりしながら、いつものように帰り道は健康のために少し散歩したりして。

 信じられないよ。
 だっておれ、このままウチまで歩けそうな気分だよ。
 こんなデブのガン患者なんかいるわけないよ。

夕食をとるために立ち寄った妻の大好きなごはん屋。

 そりゃさあ、ガンだなんていわれたら食欲ないよ。
 まあ1日くらいメシ抜いたってどうこうねえよな。
 だっておれ、こんなにデブなんだからさ。

その店で最後のタバコが切れた。

 おれ、タバコも酒も今日でやめるわ。
 副流煙っておまえの健康にもよくないだろうしさ。
 手術のときに麻酔きかなかったらヒサンだもんな。

部屋に戻り、このブログを立ち上げ、習慣となっている「タモリ倶楽部」を二人で見た。
妻は疲れていたのだろう、いつのまにか眠っていた。

本を読む。お茶を飲む。電気を消してみる。またつけてみる。
1時・1時30分・2時。
時間だけが流れていて、思考も本のページも止まったままだ。

 怖いよ。
 どうして今なんだよ。
 どうしておれなんだよ。

最良の妻と知り合い、ともに生きることができると、心の底から、本当に毎日すべてのことに感謝してきたのに。
「初期ではない」という絶望と「手術でとりきれそうだ」という希望がただぐるぐるアタマの中を回る。

いつか妻は目を覚まし、おれの肩を抱きしめてくれていた。
深夜の部屋、ふたりで声を上げて泣いた。

でも。
このひとをこんなふうに泣かせるために口説きおとしたわけじゃない。
誰よりもこのひとを理解していけるのはいおれだけだと確信していたから。
そしてこのひとならおれを理解してくれると信じていたからだ。

妻はこういった。
「あたし、あなたより先に死なないって約束したから。
いつかはこういう思いをしなければいけなかったの。
でも突然死んじゃうより、覚悟ができるいまのほうがずっといい」

それならいまのおれにできることは。

くよくよせず、検査の結果をおとなしく待ち、食事をきちんと摂り、普段どおりにすごすこと。
そして立派に回復して、こんな日記を笑い飛ばせるような日を迎えること。

そしておれは導眠剤を飲んで眠りについた。
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by jack-dancer | 2005-04-02 13:07 | 告知まで
全国的にエイプリル・フール。
こんな日にガン検診の結果を聞くのは本当に気が進まなかったが仕方ない。

朝、7時前に腰痛で目が覚める。市販の痛み止めを服用。
もうひと眠りして8時起床。
検査結果が出る日なので、かなり緊張しているのか、食欲はない。
どうせよくない結果であればCTやらMRIやらの検査があるだろうし、よい結果であれば宴会をやると決めていたので、食事抜きでT医大へ。

担当のN医師より「痛みはどうですか」「出血は止まりましたか」などの質問のあと、比較的あっさりと

 「よくない結果が出ました。ガンの可能性が。。。というよりまず間違いなく子宮頸ガンです」

と告知。

あとは大きさや転移の具合をみてすぐ切るか、放射線でガンを小さくしてから切るかの2択らしい。
横目で診察室にあるパソコンのモニタに表示されている血液検査結果の数値を見て「CA125 8.5」というのがかろうじて読み取れ、ああ卵巣転移はないんだな、などと冷静に考えたりしていた。
内診と触診の結果はわからないがN医師が小さく「ん。大丈夫か」とつぶやくのが聞こえ、かつ「今の状態であれば横へは広がっていないので手術で取りきれると思います」といわれた。
その後CT検査・入院の説明・MRI検査の予約。

おれからの質問は2点のみだった。
「男性との性交渉はもう十何年ありません(うっわ~すげえこと言ってんな、おれ)。それでもなんとかってウィルスが原因のガンになるんですか」
「感染即発症ではないんですよ。ストレスなどで徐々にガンになるんです」

 しょぼん。

「で、仕事をやめなければなりませんか」
「いや。その必要はありません(きっぱり)」

そっか。まだそんな絶望的な状態じゃねえのか。
入院1ヶ月は痛いが、なんとか職場の連中には病名を隠しとおして復職してやる。
N医師とさっそく口裏を合わせ、診断書には「子宮腫瘍」とだけ書いてもらうことにする。

CT検査前、妹に電話。検査終了後、友人に電話。ともに結果を正直に伝えた。

職場で上司に報告。
おれに「子宮」などというものが存在していることをすっかり失念していたらしい上司は、それでも誠実に対応してくれたと思う。
1ヶ月の間のピンチヒッターのこと、復職のめどのこと。
本来であれば臨時雇いの派遣社員なので、ここであっさりクビになっても文句は言えない。

「戻ってこられるんですか」
「戻ってきてもいいですか」

とても不毛なおれたちの言葉。
上司の性格からすれば「使えないものはいらない」のである。
そして使えなくなるのであればこの場でそう言ってもらいらいのだ。
しかしこれは驕りでもなんでもなく、おれがいま職場を離れたら仕事は完全に麻痺し、その部署を閉鎖しなければならないような状態だ。

しかし上司もおれの性格を知っている。
「できますか」と聞かれて、絶対に「できない」とは答えられない人間であることを知っている。

「戻ってこられるんですか」
「戻ってきてもいいですか」
「戻ってきてほしいです」
「戻りたいのです」

約束ひとつできないまま、おれは職場に戻った。
おれの不在の1ヶ月、職場を回さなければならない「妻」のもとへ。
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by jack-dancer | 2005-04-02 10:42 | 告知まで

おれのこと

精神的には男性であったのに、なぜか女性の身体に生まれついてくる。
それがFTM(Female to Male)と呼ばれる種類の性同一性障害患者です。

いずれは胸を切除したいなあとか、いろいろと夢がありました。

しかしこのたび。子宮頸ガンという病気にかかってしまったのです。
医師の見立てでは要・即手術。

 #なんと胸より先に子宮を取ることになろうとは。。。

現時点ではCTやMRIの結果は出ていないものの、ぼくは来年の桜を見られないであろうという絶望的な予想をしています。
腰痛がひどく、痛み止めが切れたらもうなにもできないほどの自覚症状があるからです。

でも、もし見られたらもうけもの。
そんな感覚でのんびり生きたいんです。

妻とふたりで。

【追記】
2005/04/08、確定診断の結果1b2(手術可能・5年生存率8割超)ということでした。
今はとりあえず手術室から無事に出てこられればそれでいいと思っています。

【追記・その2】
2005/05/20、術後確定診断と病理結果が出ました。
pT2bN1M0というもので、術前の確定診断よりはステージが上がってしまい、リンパ転移も判明したため、追加治療が確定となりました。
しかし「がんは切除できました」と力強く語る主治医を信じて追加治療をがんばりたいと思います。

【追記・その3】
2005/07/23、追加治療も無事終えて退院いたしました。
ぼくの主治医によれば、この病気の再発のヤマは「まず2年」なのだそうです。
まだまだ先は長そうですが、「気づいたらその日が来てた」みたいに思えるようゆっくりペースで生きてみます。

【追記・その4】
2006/04/19、気づけば告知から一年以上が経過してます。
病気のことを忘れているわけではないけれど、それほど大騒ぎしなくても生きていけるようになりました。

【追記・その5】
2007/04/22、術後2年が経過しようとしています。日常の中でつい「いまここにいられること」に対する感動とか感謝とかを忘れそうになりますが、このブログはそんなぼくをたしなめてくれる貴重な記録となりつつあります。
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by jack-dancer | 2005-04-02 00:35 | はじめに